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高貴さの中に脇の甘さを感じる梅酒

梅酒を飲んだ。 梅の季節に浸けた梅酒である。いつの間にか良い色がついていて、2-3日前から気になっていた。今年は身体性を求めた活動をしており、梅酒作りはその一環である。本当は梅干しを作りたかったが工程にハードルを感じ、比較的そのハードルが低い梅酒を浸けた訳である。 カップにそそぎ、常温で飲んだ。案外にいけるではないか。氷を入れて冷やして飲んでみた。少し甘いがこんなもんだろうという思いになった。 服部文祥さんの動画を見ながら、集中なく飲んだわけだが、ふと多少なり梅酒に注目せないかんなという気持ちにもなった。味は上記に掲げたとおりなので、香りをかいだ。 梅特有の苦味を含んだような香りがした。そして、その中に多少の高貴さを感じ、脇の甘さも感じ取るのだった。 脇の甘さは、梅酒の甘さに起因しているかもしれない。 あ、そうだ。今回は肝心の梅を取り出さなかった。これはうっかりしていた。

中庸・真ん中の基準

久しぶりにブログをいじっていたら、うまくいかなった。 さて、中庸の話。バランスを取るという基準について、腑に落ちたので記しておく。 私が思うに「あいつの言いたいことも分かるが、こいつの言いたいことも分かる」といった感覚になったら、中庸と思って良い。 ベストは「双方の良いところも悪いところも言える」こと。無理に言語化する必要はなく、最後のところは、「~もぼやっと感じることができる」「そう思うことができる」でも良い。 「理解できない」という感覚ならば、言葉のとおり、理解が足りない。右でも左でも、上でも下でも、真ん中にいるというのは損得で云えば、昨今は「無」の場所である。損得でいうと"無"なのである。 利益を得たいならば偏りなさい。理解を深めたいなら中庸を目指しなさい。中庸や真ん中の良さはバランス感覚であり、場を和ます力でもある。 ビジネスとしては難しいだろうが、生き方としては悪いものでもない。

体力がついたら人当たりが良くなった話

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お盆が終わった。 仏教には興味はあるが、宗教行事にはあまり関心がない。葬式も法事もお盆も彼岸も、そんなきっちりとこだわりがある訳ではない。 こだわりがないので、こだわりがある人に合わせている。なので、大雨が降っているのに「お盆だから」という理由で墓参りに行くというのは、あまり理解ができない。墓参りなどは気持ちがいい時に行ったらいい。連れて帰るとか色々あるらしいが。 今年はコロナ禍明けとしては、全くコロナを意識しない盆だった。人にも多く会った。去年と比べると、どうやら人当たりが良くなったようだ。そういう感想を多くもらった。 理由としては簡単で、身体性を意識した行動をしたり、なるべく自然の中で過ごすということを意識したことがベースにある。家では休養を重視したので、体力も多少なり回復したのだろう。体力さえあれば、自分は人見知りしなくなる。相対的に行動的になる。 逆をいえば、疲れていたり体力がない時は、人に会いたくもないし、電話も出たくはない。今まではそれがデフォルトだったから性格だと思っていたのだけれど、体力のあるなしでアウトプットが変わるんだから、まぁそれも良しとしよう。 飲み会は2度あったが、酒を飲まずに切り抜けた。5時間くらいカラオケで手拍子したり、2時間ほどお子さんと遊んだりもしたが、酒を飲まなくても対応できたのは収穫といえよう。自分は酒を飲むと右手の指が割れてくるので、よほど面倒な人が相手ではない限り、酒は飲まないことに決めた。ほんとはカラオケにも行かないと決めていたのだが、今回は成り行きである。一貫性を維持するのであれば、反したので反省はある。 酒の代わりに飲んでいたのが、このお茶である。近所のドラッグストアでは1本100円程度。ネットで買えば150円くらいか。日本は緑茶の国ではあるけれど、本物の緑茶を飲もうと思うと案外どこで飲んだら良いか分からないという話は聞く。 Amazonで買う ペットボトルのお茶を飲むときには、なんにも意識をしていない。そこにあるちょうどよい飲み物である。冷やせばおいしいし、常温でもふつうにいける。値段が手頃なのが良い。なんせ5時間もカラオケスナックにいたのに、支払いが2000円で済んだのはこのお茶のおかげでもある。

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