人間関係というのは、得てしてタイミングによって左右される。 私はどうも「話の通じない」「こちらの含意が伝わらない」人というか、パターンが苦手だ。 若いときは訂正をしたり、説明を費やしたが、それも些か面倒になって関係の浅い場合は、端的に話を切り上げるようにしている。その人とはもう人生で会うことはないだろうが、モヤモヤは残る。 このモヤモヤの対処が課題なのだ。モヤモヤが発生しなければストレスにはならない。相手を人だと思わなければ機械的に対応して終わりなのだが、AI時代の新しい教養は「感じの良さ」である。と、私は思い始めたので、機械的に対応することにも別のストレスが発生する。 いわく、昔から弁解の余地がないとか、相手は失礼なことをしているのに、こっちが同じことをやり返すことができないといった状況に対してストレスを持つ。やり返すことは実際にはできるのだが、関係がこじれるのは本当に面倒くさいので、やり返すことも正しくはない。相手に何かを期待するわけでは無いが、こっちも一歩引いたり、緩衝材になるといった行動を取ることが、どうにもこうにも腹が立つということがあるのだ。 これはタイミングの話だ。感情が死んでいるときは何とも思わないだろうし、調子が良いときに食らうと気分を害されたように感じる。 これらの感情を上手く処理できないから、自分は人間関係を最低限にしているのかもしれない。最低限にしているにも関わらず、別の理由できっちりと反応や対応をするから、時折気持ちの悪い状況に落ち込むのかもしれない。 しかし、これらは何というかビジネス的な振る舞いに関する怒りでもある。相手から発信しておいて、こっちの反応を邪険に扱うのは許しがたいとかそういう怒りである。思ったような反応じゃなかったとしても、主導権を持つものが緩衝材の役割をするべきなのに、なぜこっちが気を使わないとならないのか?というものであろう。 効率化や合理化や矛盾しないやり取りは、とかく気持ちを持ってやると厄介だ。かといって人間は気分で動くので機械的に対応すると、本当にしんどい状況が生まれることもあるし、難しい。 結局はこっち側のマインドを変えるとか切り替えるのが安上がりだ。相手に執着せず、相手に執着されず、どうにかこうにかやりくりしないといけない。 暴飲暴食も散財することもストレス発散としては楽だが、痛みも伴う。得てして難しいのだ。...