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飽き性

自分はどうも朝令暮改だ。年齢を重ねる度にひどくなる。いい意味で捉えれば柔軟性があり、悪い意味で捉えれば矛盾や飽き性となる。 飽き性というのは昔から自覚していた。大体、8割ぐらい理解した気になったら興味を失ってしまう。いつだったか親が最後までやってみろと言ったのだが、当時は全く響かなかった。年を重ねてやりたいこともなくなってから、飽きてから辛抱してみるという事を実践している。残念ながらこれといった成果は出ない。 というのも、0から80までは案外容易なのだ。もしくは85ぐらいまでは容易だ。そこから100に近づける作業がとてもしんどい。感覚だが95から96に上げるまでに使う労力は0から80までよりしんどい。 なぜか。 ひたすらに細かい積み重ねなのだ。それは自分も楽しくないし、周りからは何も変化をしていないように見える。案外、維持しているだけでもしんどい。やめると一気にスコアが落ちる。 これが世にいうブレイクスルーや壁みたいなもん。 まぁ、こんなこと書きたかった訳ではないんです。前回、パチンコ系の動画を上げることをやめたと宣言したが、普通に上げてしまったことに一抹のもやもやを感じたのです。 しかし、止める宣言をしたことで気持ちが楽になったのは確かです。学校を休むという連絡をしたら元気になる児童と一緒です。そういうメンタルなんでしょうね。

パチンコ系はアップしないことに決めた

パチンコ系の動画は基本アップロードしないことに決めた。 自分のなかでもしばしば悩むこともあったが、記録として残しておこうかなと貧弱な理由で続けていたのだが、なんともいえないコメントがつく割合が多く、これが小さなストレスにつながるのであれば、やめようとなった。 しかし、気が向いたときは上げるかもしれない。そのあたりは流動的。なにしろ、運動すると気分がハイになってなんでも許せてしまうし、体調が悪いときはなにをされてもイライラしてしまう。なので、はっきりと決めることはできない。ただ、もう止めるというのは決めた。もういいやって気分になり、それを覆す理由を見つけられなかった。

養老孟司「運のつき」

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養老孟司さんの「運のつき」を読み終わった。養老さんの言説は、何かをきっかけに随分と好きになって、ちょくちょく動画や著作を見ている。公式YouTubeが開設されてからは、そんなに動画は見なくなった。講演などで一人で話している養老さんに慣れたのだろう。 「運のつき」は、2007年に文庫化されているが、内容に古さは感じない。なぜかというと、それよりも古いことや変わらないことを取り扱っているからだ。戦争や全共闘、世間や人生、日本などなど。 養老さんは自身をしつこい性格だと表するが、当人いわく疑問や引っ掛かりを覚えると随分と考えてしまうのだという。本書ではなかったと思うが数十年おんなじことを考えていたとか、ふとした瞬間に繋がったというのは聞いたような気がする。確かに考えているとトイレや風呂、散歩、寝起きのときにふと繋がる。そして腑に落ちることもある。 考えたあとに出てくることは世間の常識と少し違っている。少し違っているから読んでいて面白い。当人、世間との折り合いには随分と苦労したと書いている。苦労したんでしょうなぁ、そこは共感ができる。時折、自分と似ている部分を感じるのは、元がそうなのか影響を受けたのかはわからない。まぁ、久しぶりに本を読み切りました。 それに本書は古本でも100円程度と随分安い。なんとなくだが、養老さんと成田悠輔さんはアウトプットが似ていると感じる。

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