竹内洋岳さんの哲学から見える、揺れる自分の生き方

「登山家 竹内洋岳 運命を語る」を見た。


---要約

登山家・竹内洋岳の動画を観た感想を通して、彼の哲学や人生観に共感を覚えた筆者の考えが述べられています。竹内氏の「頂上は通過点」や「運命はない」といった言葉に惹かれ、周囲に合わせて生きてきた自分との対比を感じます。自分は他人の顔色を伺い、過干渉を避けるために協調を優先してきましたが、最近はそれに疑問を感じ始めており、竹内氏の生き方に共鳴しつつ、自分自身のあり方を見つめ直していると綴られています。


---本文

竹内さんを知ったのは、服部文祥さんとの対談の動画だった。割と最近の出来事である。確認すると妄想エヴェレストのタイトルがついていた。内容としては、本の宣伝や広報だったような気がしている。あまり音質は良いとは云えないが、YouTube普及期の動画ということもあり、テロップはとてもがんばっていた。


この時の竹内さんの印象は、柔らかい人だった。のちのち調べると登山界において功績を上げた人だということを知り、人気もあり、動画も沢山ある人だった。


平出和也さんと中島健郎さんが滑落したニュースの時に、印象的なツイートをしていたように記憶している。たしか「本人に言いたいことはあるが、ここでは書かない」みたいな内容だった。


ああ、この人が竹内さんだったのかと思った。ほんとに申し訳ないのだが、名前は「竹内洋岳(たけうちひろたか)さん」だ。どうしても、あたまがひろたけで覚えてしまったので、戒めに記す。


さて、前段が長くなったが一行目の動画を見た。公開は11年前で、たぶんテレビ番組のアップロードだろう。ここに映っている竹内さんは、鋭い感覚でモノを話しているように感じた。俗に言う、尖っている時期かもしれない。最近の動画だと雰囲気は丸くなっている。


言葉には経験もあるだろうし、ある意味、哲学とか思想とか捉え方とかあるが、自分の言葉で話している様というのは、どうも魅力的であった。頂上は通過点とか、山に戻ってみたらがっかりしたとか、運命はないとか、周囲を見渡すとなかなか云えないように思う。そう、自分には。


ここから自分語りをするが、自分はここまでの人生で我を通すよりも周囲に協調することを選んできた。最近になって、それに疑義が生じているので、竹内さんの話ぶりに魅力を感じた訳だ。自分は周りの顔色を伺って、了承が出ないとなかなか行動しないという行動原理が身についてしまっていると感じた。それはなぜかといえば、了承を得ない行動の場合、のちに過干渉に遭い、辟易するからだ。なので、先手を打っていた訳だが、最近はどうもそれすらミステイクだったようにも感じている。


しかし、我を通すと上の過干渉もそうだが、孤立もする。まぁ、これに対する突破力を持っていないというのも自身の能力の随分と良くないところだなと思うわけだが、もっぱら疑義が生じたというのは事実で、ただ、やるべきことはやる方が良いし、その疑義が現実逃避のトリガーであるというのなら、それを咀嚼しても良いかなとも思うわけだ。


登山家 竹内洋岳 運命を語る


竹内洋岳「妄想エヴェレスト登山」ウェブ報告会_with 服部文祥 & 猪熊隆之



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