沁みる映画「パーフェクト・デイズ」

パーフェクトデイズ


「パーフェクトデイズ」を見た。


役所広司さんがトイレ掃除の職に就きながら、淡々と日々を過ごすという映画だ。アカデミー賞やカンヌ国際映画祭などに出品・ノミネートされた作品だ。ヴィム・ヴェンダース監督作品。


この映画は人を選ぶ。なんせ映像自体に変化は乏しい。私が若かったら全く理解できない映画だったろうに思う。実際、役所広司さん演じる平山は質素なアパートに暮らし、起きてからコーヒーを飲み、トイレ掃除をし、車で音楽をかけ、銭湯に行き、メシを食い、観葉植物を育て、小説を読んで寝るのだ。翌日もその繰り返し。週末にはコインランドリーにも行くし、古本屋にも行く。小料理屋にも行く。自炊はあまりしてなさそうだ。


基本的に上記の繰り返しである。映画である部分といえば上記をベースに人間模様が展開されるくらい。平山から見た営みの変化や人付き合いが日常に揺らぎを生じさせる。それは平山にとっては気にかかる部分だが、周りの人間にとっては些末なもの。到底、映像にする必要のない変化である。


では、この映画にどういった魅力があるのか?ということだが、その生活の小さな変化を楽しむ様子や些末な出来事に翻弄される様子が沁みるのだ。そう、この映画は沁みる映画なのだ。沁みるというのは、ある程度傷を負ってたり、今生を長く生きないと無視してしまう感覚である。沁みるんだよ、この映画は。


何が沁みるのかといえば、淡々とした日常を送っているときは平気だった感情が、変化によって揺らぎが生じ、途端に何かを憂いたり、虚しくなったり、それでいて大きな変化を求めていないときに現れるもの。この映画で得られる沁みというのはそういうもの。


実に地味で、自分にしか分からない。誰も気にしていないが誰かが気にしてるもの。当たり前にあったものが無くなる感情。自分にもこういう感覚が残っていたかと感じる瞬間。言葉にできないし、言葉にすると変わってしまう機微。


そういうのが沁みるんだなぁ。




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