相手のことを自然と考えると良い
「胡蝶の夢」を最近理解できるようになった気がする。
というは、自分のなかで「過去の出来事」と「昨日見た夢」の価値に差がなくなってきたからだ。10年前の記憶と夢の経験というのは、今日を生きる自分にとっては価値が似ている。
比較してみると、過去の記憶の価値が下がったともいえる。コロナ禍を経て、時代感が変遷するなかで、過去の常識は通用しなくなった。これは基礎を構成するひとつだ。
コロナ前、コロナ禍、コロナ後ですらモノの見方が変わった。共通意識としてのスタンダードが崩壊したような感覚がある。「空が青い」という認識を社会が共有しなくなった感覚だ。だれかは「空が赤い」といい、だれかは「空は灰色」といい、そして誰かは「そもそも空には色がない」という。こうしたモノの見方が毎日変わるような感覚で、気づいたら「空の色が分からない」。そもそも「空の色に興味すら持てない」という状況になった。
自分は割と悩んだと思う。社会に共通項を見出すために。もしくは他人と認識を共有するために悩んだ。悩んだ先の結果は些末だ。そして、色んな言い方がある。
「相手が変わらないのだから自分が変わる」「相手は何を考えてるか分からないから自然と同じように扱う」「愛想よく振る舞う」「いろんな話を聞いて自分なりに考える」「その考えをまとめる」「周りが納得する結論と、自分が納得する結論を持つ」「自分が納得する結論は他人に理解されなくても良い」「ルールやモラルは守る」「考えすぎない」「居心地の良い場所を探す」「固執しない」「無理もしない」「休養できる環境では休む」「疲れたら休む」「日中は外仕事をする」。
体調が変われば悩みも変わる。体調を整えてから考えるというのも良い。考えすぎて行動できない時は、もはや考えない。行動して問題が発生してから考えれば良い。