オートミール買ってきた
体調:普通。メンタル:普通。外:まー普通。プロテイン:飲んでないがオートミール食べた。
今月末で賞味期限が切れるオートミールが投げ売りされたので買ってきた。オートミールは当初、おいしくなくてつらかったのだが、いつの頃かブラックコーヒーに入れたり、水に入れて食べるうちに何も思わずに食べられるようになった。
何も思わない。おいしいともまずいとも思わない。ブラックコーヒーや水でふやかして食べるのに良いのは、ながら食いの時である。ながら食いしても食べ過ぎることはなく、味がないので食べ終わったあとも口の中がすっきりしている。これが良い。
なにか書こうと思ったんだけど、忘れた。……、思い出した。思い出したけど、別に面白くないなぁという話だな。飽きるまで書いてみよう。
今の時代が生きづらいと言われて、そう感じることもある。子供の頃の教育と乖離があって、そのギャップに迷っている感じだ。私が新卒で社会にでた15年くらい前だって、ブラック企業なんて言葉はなかった。リーマンショックもあったし、むしろ「採ってやったから感謝しろ」みたいなことを言われたような気がする。あまりに古い記憶で定かではないが。
いまはそんなことは言えない。言ったところで得もしないし、嫌悪されるだろう。たぶん、ここのギャップにはモヤモヤするものを抱えるだろう。自分たちはされたのに、することはできないと。
社会の考え方がクリーンになった。なんとなく欧米の思想なような気もするが、日本は世界の文化を取り入れるのが割と得意なので国民性として理解したほうが良い。抗ったとして、体力がないとストレスでメンタルがやられる。
少し思ったのが、むかしの考えに固執するよりも今の考えに"あえて"変化していったほうがなんだかんだ生きやすいということだ。洋式トイレの使い方をみても、ひとむかしは男性が座って小をすることも嘲笑の対象だったろう?YouTubeをみても2-30年前のお笑いはゲイを笑い者にしていたし、それを世間も受け入れていた。それらは今の時代、良しとする世間ではない。抗ってもいずれ少数派になる。個人の世界では自由に結構だが、世間と関わると変化を受け入れた方が生きやすい。そんな気がした。
そんな気がしたとき、自分たちはある意味で幼少期の体験を捨てないといけない。今の時代に通用しない体験は過去なのか夢だったのかいらない、伝わらないものになる。仕舞っていても良いが引き出しの奥だ。たぶん、こういうことがモヤモヤ や むなしさに繋がる。まぁ、消化するほかあるまい。