勉強は楽かもしれない

体調:身体が固い。メンタル:普通。外:雨降ってます。プロテイン:飲んでないような?


書くことをど忘れしたが、勉強の方も何を勉強したか箇条書きのページ作っても良いかもしれない。勉強動画はフォーマットを決めたら、基本的には読むだけ、見るだけ、メモするだけの作業なのでゲーム動画よりも負担が少なくて良い。ただ、チャンネル的には積みゲーも消化したいし、体験としてはゲームの方が強いからなんともかんとも。


これまで、強い興味や熱がなかったのでゲーム実況をしていても違和感があったのだが、自分はそこまで興味が強くないことを嫌々するのに長けていると感じる。感じが悪いかもしれないが、言語化するとこんな感じ。ゲームにしても周りが熱狂しているから、面白いのかな?と思って始めて、そうでもないことはしばしばあった。なにか熱狂や好きという気持ちがないといけないのかなーと悩んだものだが、自分はおそらく熱狂がない。代わりに愛着が湧くことはある。


例えば、好きな有名人がいるとして、それはなんとなく好きなのである。その人の実績も過去も出身地も年齢も分からないということもある。調べる気もないし、調べてもすぐ忘れる。これくらいの距離感でダラダラなんとなく見ていると愛着が湧く。


一方、研究と言うか探究と言うかでしっかり調べて、その人のことなら雑学でも分かるぞ。となると、ふとした瞬間に冷めることはあった。伸びしろが透けてみえるというか行動が予測できるので興味が湧かなくなるのである。失礼な話だがそういうことはある。


距離感の違いだろう。特にインターネットは好意も悪意も助長されるように設計されているところがあり、少なからずユーザーにストレスを与えるようになっている。なぜかといえば、ストレスは経済を生むからだ。ストレスを感じたページの横に寝具でも、甘味でも、動物でもなんでもよいが広告を置けば、ストレス発散に衝動買いする人がいくらか出るのである。ストレスを与えると正常な判断に狂いを与えることができる。これはまぁ、いろんなメディアがやっていると思う。なにせキレイに整ったサイトは話題にもならないが、ストレスを与えるサイトは、SNSで人々が文句を書き込むのである。話題を生む構造は、経済を生む・

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