河童とツチノコ

体調:まずます。メンタル:普通。外:穏やかだけど風あり、ちょっとうるさい。


たまたま河童が頭をよぎって、個人的に合点が言ったので書く。書かないと忘れる話。感覚的なもの。


河童はいるかいないか。実存としてはいない。ただ、感覚や民俗としてはいる。と思いついた。ふと、河童が脳裏をよぎった。河童は頭に皿がある。あの光景が浮かんだ時に、大昔の子供は、ああいった髪型をしていなかっただろうか?と瞬時に連想した。


イメージとしては子連れ狼の大五郎。すると子供かぁという連想から、河童の中に童(わらべ)がいることに気づいた。わらべは現在の言葉で言うと子供である。


河の子供・・・?と連想した時、河童の好物がきゅうりだったと思い出した。すると合点がいった。河童は死者なのだと。きゅうりは盆の時に、死者を迎える「馬」を想起させるために用いられる。きゅうりに割り箸などを刺し、馬に見立てるアレだ。


そうなると河童という概念は、水辺で子供を亡くしたか、水葬した際に生まれた概念なのではないかと思った。死んだ子の親や知り合いは、その昔、子が死んだ水辺を通ることがあったのだろう。その時に何か人の気配がする。人影があったような気がする……。


よく見ると、それはいない。死んだ子がいた訳では無い。河童の仕業。ちょっとしたいたずら。この体験を伝える時に用いられたのが河童という概念なのでは?と思いついた。


ただ、それだけ。ちなみにツチノコは昔から、オオサンショウウオのことじゃないかなと思っている。

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