想像にテクノロジーが追いついてないのでは?

体調:よし。 メンタル:凪 やや低調。 外:雨。


それほど後ろを向いてないがいまいち乗ってない感じ。仕事終わりなのでメンタルに疲れがある。やっていることが急に無駄だなぁと思えてくる。寝れば治る。


ふと、インターネットでは繋がりなんて云われているけれど、実は各々が孤独なのではないかと思った。みな、トランシーバーを持って通信し合っているけれど、実際は孤独なんじゃないのかなーと。まぁ、ネットにあるコンテンツは概ねAIに置き換えることもできるから余計に感じやすいのかもしれない。


感じるとか思うは結構大事で、プラセボなんて言うけれど、相手が好意を持ってくれていると思えば悪い気はしないだろうし、敵意を持ってると思えば警戒するだろう? 相手が何を思っているかなんて分からんのだが、そう思う。そう感じる。というのは、みな大事にしている。なので、誤解が生まれるのはしょうがない話。ひたすらに正義を主張するのもしょうがない話。拠り所になっているんだもん。拠り所があれば安心するだろうし、思いが強ければ行動に繋がるだろうし、しょうがない。


不安を掻き立てたり、怒りを披露したりするのは、コンテンツ作りとしては最終手段的な立ち位置にあるんだけど、近年はよく目につく。ただ、なんとなく。各々がやりたいことはあるんだけど、テクノロジーが各々の想像に追いついていないようにも感じる。現実世界で悪いこととされているものは仮想空間に押し込めてしまい、現実がなんだかデジタル味を帯びてはいる。アナログな世界なんだけど、デジタルで考えるから極端な発想であったり、理論があれば納得するのだろう。そこはなんかあべこべ。


一方の仮想空間たるものは、暴力や批判は常。現実では禁止されてるが、映像でもゲームでも暴力や攻撃なんて奔放とされているでしょう?銃で撃つゲーム流行ってるくらいなんだし。なんか、その仮想空間たるフィクションの世界の提供が弱い気がする。未だに映像なのか?みたいな。映画?ドラマ?動画?いやいや、そういうんじゃなくて、もっと見たことのない経験と触れたことのない世界をテクノロジーに魅せてほしいんだと思うよ。


なにか皆、一生懸命、殻をやぶろうとしてるようにも思う。これがやぶれたら、きっと面白くなるよ。

このブログを検索