今週の振り返り(新しいパソコンを買った・2021/05/16)
記事にするほどではないが、振り返っておきたい「今週の振り返り」。
記事を書き始めてるのは「2021/05/16 2:00 JST」あたり。仕事をしてから30分ほど読書し、ゲームセンターCXが頭をよぎって、動画を撮ろうと思ったところ、頭の回転が鈍いことに気づいた。できる範囲のアウトプットで丁度よいアウトプットがブログを書くことだったので、これを書いている。頭が鈍ってる自覚があることから、真夜中のラブレターのような文章になるかもしれない。
体調は上向き安定。絶好調になることは年に数回しかないので、比較すると良好な状態といえよう。難点をいえば、暇になったタイミングと寝る前に焦りや不安に似た感情が表れる。概ね「このままで良いのか?」「もっと生産的なことをすべきではないか?」と自問される。私は最初こそ立ち向かう姿勢をとり、瞑想の心持ちで意識を自分に向けて問う。やわらかく表現すれば「脳内会議」をする。
「脳内会議」の結果は芳しくない。YouTubeに対する取り組みであれば、継続をベースにしつつ、アプローチを変えることを決議する。また、インターネット活動からの撤退という判断も最近では声が大きくなってきた。
振り返れば20年近く、インターネットの世界で収入を得てきたが、その方法は年々変わってきている。当初は情報の整理や発信で充分であった。仕事でいえば研究職や学者のようなアプローチが効果的だったように思う。こうしたアプローチは自分の性分に合う。近年はいかに人々に喜んでもらうかということが重要になってきている。前者と後者で違うのは、コミュニケーションの濃さ。コミュニティを形成できるかどうか。その大きさと収入が比例しているように分析している。
私は孤独に強い性分のため、コミュニティの形成は苦手分野に位置する。細かく云えば、苦手ではあるができる分野ではある。ただ、ストレスに弱いという弱点を持っており、そこの対応がうまくいっていない。ストレスの蓄積から身体を壊した経験を持っており、復調後はストレスをなるべく外すような行動を取っている。
ストレスの大きな原因は概ね、人間関係と将来不安になると思う。案外、自然や自然災害というのはストレスにはならず、諦めがつく。将来不安に関しては、人間が農耕を始めたころから表出した現象らしいので、本性のようなものだろう。人間関係が難しい。難しいというよりは落とし所が探れていない。
インターネットが仮想空間と呼ばれていた時代は、人間関係に疲れていた人のストレス発散の場や居所という役割を色濃く担っていた。現実世界に組み込まれてからは、ほぼ現実の延長線上にあり、現実の代替空間。もしくはその一部として機能している。
つまるところ、インターネットにおけるコミュニティ形成においては、ストレス耐性が高く、その処理のうまいリーダーが活躍しているように思う。
インターネット世界は「意味」で構築されており、現実に置き換えれば大都会のコミュニティと非常に似ており、親和性も高いと分析している。都会と表現すると語弊があるかもしれない。自然との結びつきが近いか遠いか。自然との結びつきが遠い世界がインターネットであり、都会だと思う。
なぜそんなことを考えるかといえば、このごろ人間と動物の違いは何なのか?を考えていたからである。結論を云えば、自然との間に境界線を作るか否かである。
家が分かりやすい。壁や窓を作り、自然と境界線を作ると落ち着く生物が人間なのかもしれない。都会はその延長である。人間の作るものの特徴としては「直線で縁取られているものが圧倒的に多い」。自然を見てみると直線など見当たらない。
都会は徹底的に自然を排除しようとする。都会に組み込まれる自然は「人間がコントロールできる」と判断したものだけ。里山にクマが出るより、都会にクマが出た方が大騒ぎされる。コントロールできない自然に対して、意味の中に生きる者は敏感になっている。
ここからは空想なのだが、死がタブー視されてきたこと、少子化が進んだことは人間が自然を遠ざけた結果なのかもしれない。そう思うと個人的には腑に落ちる。
自然に関しては、気候変動やSDGs、コロナウイルス対策でも思うことがある。端的に書くと「人間が自然をコントロールできる」と思っているところから対応が始まっていることに懸念を持っている。
というのもこうした対応を考えている場所が都会だからである。都会や発展都市というのはGoogle Earthを見れば分かりやすいが、気候が温暖で平地に作られてる場合が多い。とかくその場所は人にとって住みやすい環境といえる。
日頃から自然に振り回されている生活を送っていた私は、近年になり自然をコントロールすることなど思い違いではないか?と考えることが増えた。自然というのは人間社会など気にしていない。恐ろしく無関心で残酷なだけである。人というのは自然と距離を置くことで落ち着くが、関与はしていたいというスタンスをとる。ただ、コントロールできると考えるのは思い違いなのではないか?と感じている。
さて、上記の長文は完全にアドリブのどうでも良い話。集中力が切れたので、今週の振り返りをしよう。
新しいパソコンを購入した。自分にとってはハイスペックであるが、5年持たせる、レンダリングのスピードを上げるという点で納得している。パッと見でファンが10個ぐらいついてるので、スペックは良いが熱も相当なもんなんだろう。
データ移行もスムーズに完了。過去一番スムーズにデータを移行できたと思う。要因を考えるとバックアップデータはNASにしてるし、ローカルで使うソフトウェアが10年前と比べ圧倒的に減ったからだろうと思う。その頃は、CDやDVD-ROMでインストールしてたし、シリアルキーも1回使ったら終わりとかあった。その頃と比べれば、ネット経由でソフトをダウンロードし、シリアルもアカウントと紐付ければ、ちょっと緩い運用ができるというのが良い落とし所なのだろう。
そういえば、ブログランキングのサイトからメールが届き、サービスを終了するとのこと。15年近く運用していたらしいが、サービス継続に必要な収益が確保できなくなったらしい。個人サイトやブログ界隈は完全に下火。無名な人のサイトやブログは読まれもしません。
個人サイトで思い出したのだが、古い山の本を読んでいて、著者を検索したらWikipediaが出てきた。そこに載っている著者のサイトが既にデットリンクだったのだが、ウェブアーカイブのリンクがあったので辿ったところ、50代くらいのおじさんが近況を綴った日記とプロフィールと掲示板が出てきた。
2010年くらいまでは、こうした中高年も個人サイト作ってたかーと思うと、こうした流れが止まってしまった現状は悲しくもあり、憂いてもしょうがないんだろうなぁとも思う。私なぞは下火になったからブログ再開したようなもんだし、ウェブ界隈はお金にならないことはしなくなったし、世の中を憂う時間があるなら、自分に意識向けた方が良いんだろうね。
長くなったのでこのへんで今週は終わり。