「BIOHAZARD CODE:Veronica(DC)」プレイ後の感想
バイオハザードシリーズでクリアしたことがあるのは、ベロニカぐらいかなぁ。子供の頃はセガ党だったので、プレステで育ったバイオはプレイするきっかけがなかった様に思う。
初代は小学生の頃に発売されていて、友人の家でそれぞれが、ひとりプレイをするという謎の遊びが一瞬だけ流行った。プレイする人は部屋に一人取り残され、他の人たちは部屋を出る。そして、頃合いを見て、驚かす。そんな遊びをしてた。子供の頃のバイオハザードはとても怖かった。
さて、あれから20年ほどが経ち、バイオハザードは怖いものではなくなった。でも、ジャンプスケアは怖い。怖いのか驚くのか分からないけど、ビビる。「ベロニカ」も中学か高校生以来にプレイしていたのだが、スタート時は恐る恐るだった。進めていくと段々怖くなくなった。操作にクセがあってそれどころじゃなかった。
序盤は操作ミスやゲームの作法を探り探り。徐々に慣れていくと途方も無くボリュームがあるんじゃないかという気がした。振り返るとよくクリアしたものだ。動画を作るという目的が無ければ絶対に投げてる。
どんなゲームもサクサク進みたい。子供の頃はどうだったか知らないが、いまはアクションやバトルはどうも煩わしい。本作はそれに謎解きであっちに行ったり、こっちに行ったり……。
あれ?やってる最中は楽しんでいたのに、振り返ると不満ばかりだ。これは記事を書いているいまの自分の体調が悪いに違いない。申し訳ない「ベロニカ」。君に罪は無いが、このまま続けようと思う。
確かに楽しんだ。では「ベロニカ」の面白かったところを上げてみよ。と言われると何なんだろう?思いつかない。(現代と比べると)操作性は悪い、画面が暗い、移動がだるい、セーブが遠い。主な欠点はこのあたりで、ほぼ出尽くした。良いところ?引くに引けなくなるところかもしれない。
進めていくうちに「ここまでやったんだから」という気持ちが根付いた。私はどうも妖怪とか触手とかの類が苦手なので、彼らが出るたびに薄々嫌気が差したのだけれど、行ったことがない場所に行ってみようとか、謎が解けた時とか、小さな好奇心と達成感を得ながら進めたゲームプレイだったように思う。
そこが本作の良かったところ。そこが全てかもしれない。特段ストーリーが面白いとか、ゾンビを倒す爽快感もない。ホラー要素は20数年で薄まってしまった。得体の知れないものをホラーとして描いた作品は、インターネットの普及と共に陳腐化してしまった。本作もその煽りを受けた。
インターネットの無かった頃、近所が闇に包まれただけでも怖かった。世界は広いと思っていたし、当時はもしかしたらどこかに「ベロニカの世界」があるかもと思っていた。
インターネットが普及し、世界は身近になり、世の中に明るいところが増えた。ホラーの価値観が変わったのだ。だから怖くなくなったんだ。
<追記:2021/04/02>
この記事は2021年3月末頃に初稿。同4月8日公開予定ですが、予定前の4月2日に追記します。初稿は初稿で当時の想いなので残します。
さて、たまたまなんだけど「バイオハザード」シリーズ開発者のインタビューを読んだ。インタビューでは、怖さやパニックを誘発するために操作性を悪くしていたということが書かれていたと思う。
なるほど、そういうことかと合点がいった。初稿で上げた本作の不満点は、怖さを作り出すための仕掛けだったのかと。操作がうまくいかないことによるパニック。それが誤動作が焦りを生む仕掛けだったのかと腑に落ちた。
それならば、画面が暗い、移動がだるい、セーブが遠いもそうした思考が反映されたのだろうなぁと連想した。インタビューでは「バイオは途中からインクリボンを見つけるだけのゲームになっちゃう(笑)」と話していたけど、意図として「恐怖の醸成」が設計思想にあったのかと。
さすがに新作はそうした部分を排除して「恐怖を醸成」してると思うけど、背景を聞くと自分の足りなさに気付かされた。