「This War of Mine(WinPC)」プレイ後の感想



終わりの見えない戦争

市民側の目線で戦争を生き抜くゲーム「This War of Mine(ディス・ウォー・オブ・マイン)」は、ポーランドのゲーム会社「11 bit Studios(イレブン・ビット・スタジオ)」が開発し、2014年11月15日にリリースされました。

モデルとなった舞台は1992年4月から1996年2月まで発生したボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボでの包囲戦(サラエボ包囲)。プレイヤーは今にも倒壊しそうな建物を拠点とし、物資や食料が枯渇している状況で、いつ終わるかもしれない戦争下を生き抜かなければなりません。

このゲームに興味を持ったのは、毎週情報収集のために見ているYouTubeのゲーム番組。番組の出演者が討論の際にたびたび本ゲームに触れていたことがきっかけでした。

全体的に暗い雰囲気の本作は、疲労や空腹をマネージしながらキャラクターを操作していきます。ポイント&クリックゲームなので、マークのついたところで物資などをかき集めたり、ラジオやベッドなどを作成したりします。

鬼となればクリアは容易

コツを掴むまでは緊張したような記憶があります。プレイヤーキャラクターは、食事をとってもすぐ空腹となり、ベッドを作ってもしっかり休まなければ疲労が蓄積していきます。夜になれば拠点周辺の建物へ物資の収集に向かいますが、向かう先は民家であったり軍が接収した建物なので、見つからないように工夫しながら物資を奪っていく訳です。

ゲームクリアまでのコツは比較的シンプルです。プレイヤーマインドとして「開き直る」こと。そして「慈悲を捨てる」ことです。プレイヤーキャラクターは、同じ状況下にある市民が暮らす民家やストアに物資調達に向かう訳ですが、相手のことを慮ると気持ちの部分で苦しくなります。時には戦闘に発展することもありますが、平和的解決を望むと状況が停滞します。ゲームと割り切って強奪と殺人を行っていけば、拠点は物資と食料であふれ、数日起きにくる物々交換で事が足りてきます(武器が高価値)。

正しさを貫いたとき

では、このゲームの本質はどこにあるかといえば、プレイヤーマインドの部分で「人間らしさ」や「正しさ」を貫いたときです。"平和的に共助しながら戦争を生き抜くことの難しさ"がきっちりと突きつけられます。緊張下で人間として生き抜くことを選択すれば、疲労は取れず、空腹に苛まれ、追い込まれてしまいます。追い込まれた末に民家に押し入り、住民を殺してしまった時「しょうがなかったんだ」と自分に言い聞かせる空しさ。殺されそうになった時、諦めと懺悔がこみ上げながらも人として人に殺される安堵感。いつまで経っても終わらない戦争。肉体も精神も満たされない状況。

自分のなかの正義がジリッとあぶり出されていく感覚。正しさが見えなくなっていく道程。自分のことしか考えられなくなることで生じる愚さ。

苦しい状況に自分を置けば置くほど、このゲームの魅力が現れてくるように思います。

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